プロジェクトの状況・四月四日

802年に最澄は中国に天台宗の教えを探し取りに行くために桓武天皇の許可を求めた。803年に最澄は日本の使節団と一緒に中国に行くつもりだったが、四つの舟で出発したものの、強いかぜのせいで急に引き返しなければならなかった。そして、一年間、九州のお寺で住んでその間は最澄は薬師如来像を作って無事な道中を祈った。来年の七月にはもう一回使節団は出発した。この使節団の中で空海もいったが、別な舟に乗って航海中に風の生で舟が引き離されて空海が福建(Fujian)に下船した同時に、最澄が明州(Ming-chou)下船してしまった。その二人は中国で日本に帰国した前に会いなかった。

ところで最澄は天台山で天台の教えを勉強したし禅や密教や梵網戒も勉強した。そのときに、中国仏教には別々な宗があったが、違う考え方や儀式などを示して、日本の江戸仏教のような宗と違った。

全部で最澄は八が月半だけ中国にいたし、漢文が読めたのに、全然中国語が話せなかった。日本から若い雲水が解釈者として最澄と一緒に行ったが、その雲水が日本で中国語を習ったので、とても上手ではなかったと考える。それで、最澄は中国で習った教えなどがどんなほど分かったか知りにくい。

この記事へのコメント

ダニエル
2009年04月08日 08:30
そうなんだ、オモロいやね、その僧侶はな。そのような生活大変だそう。インタネットが作られた前に言語を習うのは無理と思う
Stacy
2009年04月09日 01:25
リュークさんと比べると、私は悪い学生ですよ。ー_ー;; 
インターネットだけじゃなくて、いい辞書もありませんでしたよ!とても大変そうだ。

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