プロジェクトの状況-三月二十九日

最澄は神護景雲元年、西暦になおすと767年に現代滋賀県の坂本のわたりに生まれました。彼の家族は中国の漢時代のある天皇まで家系をたどれると言いましたが、現代の学者で実かどうか知れないと考えています。最澄のお父さんは仏教の信者だし、最澄が生まれた前で父は比叡山に登ってなんか苦行してしまいました。

ところで、最澄は七歳と十二歳の間に坊さんになりたいと思って来て、十二歳ごろ、滋賀県の近江国分寺というお寺で入寺しました。そこで、六年間、仏教の教義や瞑想などを勉強しましたから、また、奈良で勉強したものの、仏教への特別の好みが発展されたところは近江国分寺でした。

十九歳まで、若い僧としての最澄の人生行路は普通でしたが、奈良での修業が終わってから、一人で比叡山に登りました。そこで、十二年、または十七年間住んで、様々な仏教の経や高層で書かれた釈義を自習したらしいです。

その時には大和の首都はまだ京都じゃなくて、長岡京でした。偶然に、794年に首都は平安京、すなわち京都に移りました。ところで、土占いによると、東北の方から悪霊などがよく来て、比叡山は京都の東北端に位置しているので、最澄の立場は新しい首都を保護するのにうってつけの場所にありました。

(次は最澄が中国に行くことについて書くつもりです。)

この記事へのコメント

Stacy
2009年03月31日 14:23
恐い!私に比べると、リューク(sp?)がよく進みました。(正しい言葉ですか?"To progress"?でも、上手になるという語感を使いたくないです。)啓くようしました。

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