中国仏教の授業

中国仏教の授業

中国仏教といえば、どんな考えが先に思い浮かびますか。もちろん中国人なら、自分の経験によっていろいろな観念やイメージがあるでしょう。ですが、中国に行った事がない人も、直接の体験がなかったものの、イメージを持つでしょう。私は後者のグループの代表的な人物で、言い換えれば、私は中国にいったことがないが、中国仏教に関して考えやイメージがたくさんあります。

さて、今学期、中国仏教の授業をしています。本を読んで、授業にでるにともなって、中国仏教がしだいにすこし分かってきましたが、まだ、あまりなにも知りません。

その授業の先生はYuという先生です。70年代から教えていたといえでも、まだ全然元気だし、長年の経験があるだけあって、学識豊かな人です。それで、私はこの授業にとても気に入っています。

ところで、日本仏教研究のために、中国仏教や歴史や文化などを知ったほうがいい。仏教は中国と朝鮮から伝わったので、やはり日本以外のアシア仏教を知らなければ成りません。それで、今学期の中国仏教をするかいがあるにちがいありません。

(質問: 自分の行動について思いめぐらすと、「にちがいない」を使ってもだめですか。文法辞典の文例は全部の主語は三人称としていますが、「主語は一人称とすれば、使わない」と書いていません。)

この記事へのコメント

2009年02月26日 00:47
中国の仏教というと五台山しかしりません。知っているというほど知りませんけど、去年の3年生の学生がその研究をしていました。。。


質問: 自分の行動について思いめぐらすと、「にちがいない」を使ってもだめですか。文法辞典の文例は全部の主語は三人称としていますが、「主語は一人称とすれば、使わない」と書いていません。
そうですね。「違いない」はやはり他の人・もののことについて強い確信を持つと言うことですから、自分のことについては普通使いません。なぜなら自分のことはよく知っているはずだからです。「田中さんは最近いつも悲しい顔をしているから何かあったに違いない」というのはいいですけど、その主語を私にしたら変です。何かあったら自分は知っているはずですから。しかし、ときどき自分でも分からない自分のことがあります。例えば、「よくわからないが、頭とのどが痛くて、せきも出る。風邪をひいたに違いない」というようなことなら自分のことでも言えます。

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